“尋求情感的泉源" [譯自〈大野一雄舞踏譜—空中飛翔之殿堂〉]

※原文摘自 “大野一雄舞踏譜  —  御殿、空を飛ぶ。"   頁40─43
(思潮社 : 1998)

尋求情感的泉源

一、這山巒是我們的身體

環繞著死海的山巒,明明覺得這種地方生物應該不易生存,然而卻有遍佈全山如「鼬鼠」般的野獸,在太陽直射的山的表面四處奔馳令人驚訝。他們在如同用「鹽鹵」凝固的紅褐色山表上挖洞棲息,吃的是山脈原本還在海底時所蘊藏的微生物,換言之,也可認為他們是以山為食來生存的。對他們而言山就是全部,就像在母親的胎內,以母親的肚子為食物而存活。岩鹽上所積存的雨水扮演著「水池」的角色,因為灼熱的太陽會使水份蒸發出來,這不正是支撐起他們的生命嗎?用身體靜靜承受夜晚冰冷的空氣,聚集在邊邊角角處吸吮水滴的野獸姿態。圓圓的雙眼加上長長的毛髮,彷彿一起決定好似的同時開始汲取。就像是母親的「胸部」。不知不覺間傳來一陣親切感。整個山間都在進行沉默的大合唱。山巒為你們所擁有,山巒是你們的身體。我們拜訪的時候是乾旱期,雖是草木不生的的荒地,但對他們而言則是「伊甸園」。在這樣的環境中擁有最大的自由,只要一出現未知的事物,全身的能量絕對會因好奇心的驅使而可集中轉到此處。像在地平線的盡頭、又像在世界的中心一般非常地不可思議。在他們馳騁於我裡面之前,我和他們就已親近了起來。儘管是荒涼的山表然一切的一切都很完備。

二、回到現實世界的神話

自1929年,在帝國劇場看到西班牙女舞蹈家La Argentina(Antonia Mercé 1890-1936)以來,死亡的框架就下降、打開了,使我得以和她一起同住。能有這樣的聯繫,多虧了有畫出宇宙空間的畫家中西夏之先生的作品,非常感謝他。我在1976年,先生的個展出口附近展示的一幅畫中看見Argentina的倩影,不禁佇立在和她再度相會的情境之中。先生他完全不了解Argentina,也未曾觀賞過她的舞踏表演。以弧線包圍住的宇宙空間裡懸浮著的空中鞦韆。那是宇宙的休息站,也如同是苦難的場所。雖不太能夠好好說明,不過從圓錐形的鞦韆側面開始,向外側延伸出像是尾巴、流星一般的線,末端總覺得像是貓咪的某個東西似的它彈射了出去。只是單純的尾巴嗎?我也感受到了如宇宙星雲的磁場。那個末梢雖然只是一個點,卻是一個能在其中天真無心的遊戲場。我時常與貓咪玩耍。抓著牠的尾巴又放開來。貓兒也會陪我嬉戲,像是回應我一般。這也是個可以隨意遊玩的愛情的接觸點。若用指尖輕輕撫摸時,牠會突然發出「呼嚕」般激烈驚人的聲音。雖然不會認為是在生氣,但對貓咪而言那個末梢是某種極限也說不定。我想可能是那次為了自己的方便替牠做了墮胎手術,因而發生了一般貓咪不會有的身體變化。這可以說是上天的安排嗎?甚至我會有像是觸碰到生命的源頭這般的想法。雖然話題朝著意料之外的方向進展。但我現在更加確信,Argentina的舞蹈是肩負了天地創造的舞蹈之一。做為臣屬於天之人,獲得不少藝術家們的援助,一再地鑽研直至被認為是貪婪的程度。她奉獻身心、鞠躬盡瘁,到了46歲就驟逝。在巴黎郊外紐爾的墓碑上銘刻著「為藝術而生為藝術而亡」。滿是悲傷令人窒息的美麗中,給予了世界深深地感動。藉由肩負起創造天地一部分的任務,神話因而回到了現實世界。

三、誕生的能量及其結構

以生命誕生為目標,無數的精子為了與卵子結合,一心一意往彼岸前進。逆流而上的精子,只能說它們真的是瘋了。當精子與卵子結合的瞬間,受精的卵子獲得了生命激烈地自轉起來。宇宙星雲的星星誕生,莫非這是星星的自轉?包括吸附在卵子上的精子,這些做為連結橋樑的無數精子變的怎麼樣了呢?回想起一副寫著“塵遊宇宙”的掛軸。那是深深銘刻在心上無法忘懷的一句話。在母親的胎內形成的生命,為了誕生出來後能夠獨立,要累積起所有必需的經驗。正當不自覺地這麼想著時,我看見受精卵子的自轉。看見此驗證想到這就如同我自身,不禁落下了淚滴。出生時的喊叫。歡喜、悲傷、不幸以及種種,既相反又交錯地重合。在母親成為的生命、在步向死亡的過程中培育生命,在體會生與死的過程中生命誕生。建立出生命的橋梁之後的精子,不論怎麼樣都無法撇開淘汰這字眼。 該怎麼去理解像是在誕生以前,生命成立之前就發生過般的事實才好?在無意識中刻畫在生命裡的宇宙記憶。我偷偷地在想,莫非是那促使人類成立的重要角色,不知不覺中開始覺得人類生命的原點就是情感的原點。沒錯,那事實就是人類為了生存絕對必須確立情感的原點。很沉重吧?很痛苦吧?切身體驗到生命的形成是如此珍貴這件事實。「無停歇的傾洩下天上的碎片,是巨岩的亦或是星星的?就算現在要跑也只是徒勞了」。站著不動嗎?已經不知道自己是不是蜷縮著的,那時的景像彷彿烙印在腦海無法忘懷(剛停戰沒多久做的白日夢)。那顆巨岩撞擊大地,夜以繼日地敲打宇宙本身,也打動了我。多虧如此才有現在的我存在。人們流的淚水和天上的那些是來自相同的能量吧。我想流淚的人是從天上的碎片中誕生的。那是看見花朵就會覺得美麗的一種脫胎換骨的能量。
生命誕生的能量。
宇宙形成的能量。
與這些能量相同,那些結構不也是這樣的嗎?
舞踏是來自母親的胎內,如同生命的誕生亦是從腹裡出生。那股能量、那結構,與之前的記錄不能不是相同的,所以我覺得舞踏的場地就是在母親的胎內、在宇宙的腹部裡。

四、胎內的早餐(吃飯囉)

與太陽升起一同閃耀的早餐。在母親的腹部裡吃早餐是要怎麼來開始呢?我發出了聲音,那和母親的聲音有些相似。或許是因為我與母親藉由導管組織相連而合一的關係,所以才會那麼覺得。桌子又是如何呢?一片靜寂中觸摸桌子時,不正宛如觸碰到母親的生命一般?「吃飯了喔」。熱氣騰騰的味噌湯。一頓映照出宇宙的子宮內部恭恭敬敬的早餐。精神抖擻地到餐桌旁的自己仍然是一無所知,懷抱著與此相對難以負荷的問題,不,應該是說雙手懷抱著無法控制漸漸擴大的生命,甚至連身軀姿態都因此傾斜了起來。(平常生活中也是這樣)。母親的吃與我的吃是相連著的。無數的子孫們沉浮在閃耀的波浪間(浪頭)。大家都靠向餐桌了卻是一種平靜下來的情緒。手放在餐桌上。味噌湯的熱氣升起但沒有要動筷的跡象。放在餐桌上的手與升起的熱氣兩者格外合得來。受精的卵子(胚胎)如同親密地接觸般,著床在子宮內壁,未長成的神經和血管樹立在血海中,他努力地擺動著小小的身軀。彷彿是幫浦一樣,咕嚕咕嚕。宇宙的節奏如同天上樂音陣陣傳來。你問他是食用什麼來生存?是靠愛的食糧啊。是那雙小小的手讓我理解到這點。那像是在說「看看我這雙小手」。不知從哪裡聽見「是那長長的導管呀,製造出這兩人的喲」。交疊雙手、放開雙手,在這樣的過程中,能發展出智慧並體會到關懷。偏差或者遠離四週也能成為一種宇宙法則的體驗。我想這是宇宙記憶中最為重要的事。是溫暖的?冰冷的?喜悅的?悲傷的?即使是死亡也與生命並存著。在子宮裡面下著雨的運動會。渾身沾滿泥巴奔跑、跌倒,再度爬起,我想就如同嶄新的生命對一切狀況都能獨立應對,我們是擁有那樣的可能性並且由此誕生出來。

感情の源泉を求めて

一、この山並みは私たちの身体だ

死海をとりまく山並み、こんなところには生きものなんかとても棲めないと思ったのに、全山いたるところに「いたち」のようなけものが、太陽の直射する山肌を馳けめぐっていたには驚いた。赤茶けた「ニガリ」で固められたような山肌に穴を掘って棲み、かつて海底であった時に蓄積された微生物を喰べ、言って見れば山を喰べて生きていたのだと考えられるのでした。彼等にとって山はすべてであり、母なる胎であり、母なる胎を食物として生きておったのです。岩塩の上に貯えられた雨水が「プール」の役割をし、焼けつくような太陽が水分を立昇らせ、彼等の命を支えておったのでないかと思っています。夜間の冷たい空気をじいっとして身体で受け止め、端末に集った水滴を吸うけものたちの姿。目はまん丸く髪をはやし、時間をきめたように一斉に吸いはじめる。まるで母親の「オッパイ」です。親近感がどちらからともなく伝わってくる。全山を挙げての沈黙の大合唱。山並みはお前たちのものだ。山並みはお前たちの身体だ。私たちが訪ねた時は乾期であり、草木一本生えていない荒地そのものでしたが、彼等にとっては「エデソの園」だったのです。このような環境の中で最大の自由を獲得し、未知なるものに対し、その好奇心からか全エネルギーを集中してこちらを振向いていたに違いありません。地の果てのようでもあるし、世界の中心でもあるような不思議な想いにかられるのでした。彼等は私の内部を馳けめぐるまでに親しくなったのでした。荒原たる山肌なのに何から何まで整っていた。

二、現実の世界に立ち戻った神話

一九二九年、帝国劇場で観たスペイソの舞姫ラ・アルへソチーナ(アソトニア・メルセ 一八九〇─一九三六年)以来、死の枠にまで下降し共に住んでおります。このようなつながりは、宇宙空間に画いた画家中西夏之氏の絵によるお蔭げと感謝しております。私は一九七六年、氏の個展で出口近くに掲げられた一枚の絵の中にアルへソチーナの姿を見、アルへソチーナに再会した想いの中で立ちつくしてしまったのでした。氏はアルへソチーナを全く知らなかったし、その舞踏を見ておらなかったのです。弧に取り囲まれた宇宙空間に浮んでいたのは空中ブランコ。それは宇宙の休息所であり、苦難の場でもあるような。とても説明出来ませんが、円垂形のブラソコの側面から尻尾のような、流星の尾のような線が外側に伸び、端末は猫のもののような感じで何となくはじかれていた。単なる尻尾なのか。私は宇宙星雲の磁場のようにも感ぜられた。この端末は一つの点でしかなかったが、無心に遊べる場でもあった。私は猫とよく遊ぶ。尻尾をつかんだり離したり。猫も私に応えるように、私を遊ばしてくれる。何気なく遊ぶ愛情の接点でもあった。端末を指先で軽くなでていた時、突然「フーッ」とびっくりするような激しさ。怒っているとは思われませんでしたが、猫にとってその端末は何かの極点であったのかもしれません。こちらの勝手な都合で妊娠中絶の手術をしたので、普通の猫にはない身体の変化が起ってのことかとも思った。天の配剤とでも言ったらよいのか。命の源泉にでもふれたような想いでした。話が思わない方にとんでしまいましたが、私は、アルへンチーナの舞踏は天地創造の一翼を荷った舞踏だ、と確信するに至りました。天に属する者として、多くの芸術家たちの力添えを与えられ、貪欲と思われるまでに研鑽に研鑽を重ね、身も心もささげつくし、四十六歳で夭逝しました。パリ郊外ヌイユのお墓には、「藝術のため生れ藝術のため死んだ」と記されておりました。悲しいばかりに堪えられない美しさの中で、世界中に深い感銘を与えたのでした。天地創造の一翼を荷うことによって神話が現実の世界に立ちもどったのです。

三、誕生のエネルギーとそのメカニック

生命誕生をめざして、無数の精子が卵子との結びつきのためひたすら彼岸をめざす。流れを遡る精子。狂気としかいいようがない。精子と卵子が結ばれた瞬間、受胎した卵子は命あるものとして激しく自転した。宇宙星雲の星の誕生。星の自転かと思った。卵子にはりついていた多数の精子も含め、結びつきの橋渡しをした無数の精子はどうなったのだろうか。塵遊宇宙という掛軸の言(ことば)を想いおこす。忘れられない言として心に刻みこまれています。母の胎内で成立した生命は、誕生後にそなえて自立出来るように、必要なあらゆる体験を積み重ねるのだと、何となく思っておった時に、受胎した卵子の自転を見た。その証しを見て我がことのように思い、思わず涙がこぼれ落ちたのでした。誕生の時の叫び。よろこび、悲しみ、無残さがうらはらに重なり合う。母なる命の、死への歩みの中で生命が育てられ、生と死の体験の中で命が誕生する。生命成立の橋渡しをした後の精子。淘汰という言葉ではどうしても割り切れない。誕生以前、生命の成立に先だってのことのような事実をどのように受けとったらよいのか。無意識の中で生命に刻みこまれる宇宙記憶。人間成立の重要な役割りを果たしているのではなかろうか、と秘かに思っている私は、いつとはなしに人間生命の原点は即感情の原点だと思うようになった。そうだ、あの事実は人間が生きるために絶対必要な感情成立の原点だったのだ。つらかったろう、いたかったろう。生命成立の貴重さを身をもって知らしめた事実だったのだ。「絶えまなく降りそそぐ天のかけら、巨岩なのか星なのか。もはや走っても無駄だと思った」。立ちつくしておったのか、うづくまってしまったのかわからないが、その時の映像が焼きつくように忘れられない(終戦直後見た白昼夢) 。あの巨岩は大地を打った。絶えまなく宇宙自身を打った。私をも打った。お蔭げで私は今存在している。人間の流す涙と天のかれらとは同じエネルギーではなかろうか。涙を流す人間は天のかけらから生れたと思っている。花を見て美しいと思う換骨奪胎のエネルギー。
生命誕生のエネルギー。
宇宙成立のエネルギー。
これらのエネルギーは同じであり、そのメカニックも同じではなかろうか。
舞踏は母の胎から、誕生する生命のように胎から生れるもので、そのエネルギー、メカニックは先に記したものと同じでなければならないし、舞踏の場は母の胎、宇宙の胎だと思っている。

四、胎内での朝餉(ごはんですよ)

太陽が昇ると共に始まる輝かしい朝餉。母の胎内での朝飼はどのようにして始まるのだろうか。私が声を出した。それは母の声のようでもある。私と母がパイプで繋って一つなので、そう聞えるのかも知れない。テーブルはどうなっていたんだろうか。静まった中でテーブルに触れたとき、母の命に触れたような想いになるのではないだろうか。「ごはんですよ」。味噌汁の湯気が立昇る。宇宙を映し出した胎内でのつつましい朝餉。勇んで食卓についた時も自分では分からぬまま、それなりに手にあますほどの問題を、いや手にあますにどどんどん大きくなっている命をかかえこんで、姿かたちまでかたむいてしまう。(日常生活とおんなじだー)。母が喰べることは私が喰べることに繋る。光輝く波間に浮んだ無数の孫たち(波頭)。みんな食卓に寄って来ているのに何か静まった想いだ。手が食卓に置かれていた。味噌汁の湯気が立昇っているのに喰べる気配がない。食卓に置かれた手と立昇る湯気が妙に気が合う。受胎した卵子(胎芽)はスキンシップのように子宮内壁に着床し、未成熟なまま神経と血管を血の海に突きたて、必死に小さな身体を動かす。まるでポソプだ。ゴックンゴックン。宇宙のリズムが天の音楽のように響いてくる。何を喰べて生きているんだって?愛という喰べものさ。小さい小さい手がそう知らしてくれる。「私の小さい手を見てごらん」と言っているようだ。「あの長いパイプはね、二人でつくったのよ」とどこからともなく聞えてくる。手が重なったり離れたり、このような中で、知恵が生れ心配りを体験することになる。ずれや遠まわりということも宇宙の撮理として体験する。宇宙記憶の中で大切なことであると思う。暖かさなのか、寒さなのか、喜びなのか、悲しみなのか、生と死さえも同居している。胎内での雨の運動会。泥んこになりながら走ったり転んだり、おきあがって、新たな生命はあらゆる事態に自立対応出来るように、その可能性をもって誕生してくるのだと思っている。

摘錄 “花的美麗 就是生命的美麗” [大野一雄父子訪談]

※引自“表演藝術雜誌” (1994,7)

時間:1994年6月6日 20:30
地點:中山北路登琨艷工作室
主持:林懷民
出席:大野一雄
大野慶人
薩爾‧穆吉揚托

對談圖1

          上個月,舞踏大師大野一雄和其次子大野慶人翩然抵達台灣,為我們帶來兩套舞碼《睡蓮》、《死海》,和三場極為動人的演出。
此外,他們在藝術學院舉辦了一場舞蹈講座,在教室中領著學員婆娑起舞,給學員許多啟發。
我們更趁著這個千載難逢的機會,邀請雲門舞集的林懷民、藝術學院客席教授薩爾‧穆吉揚托和大野父子進行了一場精彩的對談。

建築家登琨艷的工作室有滿屋子古色古香的明朝傢俱,四面牆上掛著素雅的卷軸水墨,為了迎接大野父子的到來,主人買了數朵長梗白色姬百合插在水瓶中。大野一雄進門就被桌子上一尊美麗的觀音頭像所吸引,他走到頭像面前,即興舞了兩三分鐘。舞畢,他在眾人吃驚的目光中走回座位。他說,台北有青山圍繞,起伏的山巒像斜躺的觀音,感覺是台北受著觀音的保護似的。他到台北來精神、演出都順利,觀音也保佑了他。因此看到了觀音像就很自然的想走過去回禮、問好。他提及當還在日本體操大學唸書時,住在宿舍二樓,同層有三、四名台灣留學生,他常和他們無拘無束的交談。他到台灣來演出,這些感覺好像又回來了,是一種很親切的感覺。
林懷民:非常謝謝您到台灣來,給我們帶來如此精彩動人的舞蹈。《表演藝術雜誌》舉辦這場訪談,正好讓我有機會向您請教:您在舞台上的表演,把嬰兒般的純真和歲月的滄桑不可思議的合為一體。我很好奇您跳舞時,頭腦裡想些什麼呢?
大野一雄:使用頭腦的工作要讓給政治家和經濟學者。跳舞時我只用「心」來跳。
林懷民:(大笑) 我同意。如果跳舞時大腦仍想事情,那就不是純粹的舞蹈了。
薩爾‧穆吉揚托:兩年前我曾在紐約看到您的演出,當時您已八十六歲,此回再度觀賞您的演出,仍是感動不已。我想請教大野先生在舞了這麼多年後,您認為舞蹈是什麼呢?

舞蹈就是對生命非常地珍惜

大野一雄:簡潔地講,我覺得舞蹈就是一種對「自己」或是「生命」非常珍惜的心情。
大野慶人:除了珍惜活著的人,已死的人,他也一樣地看待。在他的哲學中,死後還有生命,活著的人和死去的人相互珍惜,舞蹈的意義就會彰顯。

對談圖9.1

林懷民:請問您們在演出前如何準備自己,以進入演出的情緒?
大野一雄:我總是平常就先儘可能做好準備,而非等到上台前。
林懷民:平常我們常用「畫妝」來進入一個角色,或者「暖身」,甚至有人要「打坐」,您完全沒有這類的儀式嗎?
大野一雄:(很肯定地) 對,我從來沒有準備過。
大野慶人:家父很強調這一點,他總是上台就很自然的演出了。他認為在表演的當下只要「忠實」自己就行了,他也的確可以達到此種境界。
我自己則在剛站上舞台時想像我正面對著許多過世的人,並向他們行禮。我們認為自己背負著前人的智慧、傳統,沒有那些逝去的人,就沒有我們。
林懷民:許多民族在跳舞前也有向祖先祈禱的儀式,表示對死者的敬重。請問和亡魂的親密關係,和對死者的敬重是屬於先生個人的哲學呢,還是日本文化中本有的特色?
大野慶人:父親的徘歌老師曾告訴他:「人是由傳統累積而成的,既然從前人那裡接受東西,就該對他們常存有感激之心。」他也總是記得這件事。
日本人有個紀念死者的「盂蘭節」在每年的七月十四到十六舉行。在這三天中,人們把已去世的亡魂接回家中來,並把他們生前愛吃的、愛看的都一一擺出來。在日本文化中,活著的人和死去的人本來就有著極親近的關係。
林懷民:這就是我們農曆七月十五的中元節吧。

          花的美麗,就是生命的美麗

薩爾‧穆吉揚托:我非常羨慕您們父子倆可以一起到世界各地旅行,同台演出。我也想請教大野慶人先生三個問題。第一是您和父親跳了這麼久的舞,您從父親那裡學到了什麼?第二是爸爸教了您什麼?第三,您為什麼要跳舞,而且還隨爸爸走上舞踏表演者的生涯?
大野慶人:童年時我曾隨土方巽先生習舞,若不是土方先生的引導,我也許不會走上舞台,成為舞者。
至於我從父親那裡學到什麼?這我不敢說,因為總覺得沒完全做到父親的要求,仍沒辦法完全的專注,心境還是會受到周遭事物的影響,必須再花上幾年的歲月才能略有領會罷。記得父親曾要求我模擬花的心境跳舞,當時我很生氣,心中暗想如果我能跳好一朵花,那末,我不如就做一朵花好了,何必來跳舞呢?質到七年前,我生了一場大病。在養病那段日子中,我突然頓悟了,原來父親說的花的美麗,其實指的是生命的美麗。
薩爾‧穆吉揚托:這使我想起下午大野父子在藝術學院給學生上的課。大野一雄先生告訴學生跳舞不要只重視外形,應把注意力轉到內心的感受上,對學生相當地有啟發性。前天晚上,兩位先生半即興的演出,有著很強的表達力量,相當地憾人,可以請問您是如何做到的嗎?
大野一雄:我在一九二九年曾於東京帝國劇場觀賞被稱為「西班牙之女La Argentina」的舞蹈家Antonia Mercé的演出。她是一位很認真工作的人。她的表演觸動了我獻身舞蹈的想法,也給我非常深遠的影響。我無法忘懷她跳舞的樣子,即使是現在,當我站上舞台時,她彷彿仍站在那兒對我說:「來吧!來吧!和我一起跳舞!」
我以為生命的誕生必伴隨著死亡,生和死是共存的。就好像嬰兒在母胎中時是靠著胎盤經由母親提供養分,母親以血肉之軀供養幼兒,幼兒每成長一寸,母親的生命力,生命期就消耗一尺。死而後生、週而復始,這是宇宙亙久不變的真理。

          對母親深深的依戀

我的舞蹈也和母親有深刻的關係。小時候我是個非常任性的孩子,常吵著母親買這買那,但很多時候並非因為我喜歡那樣東西,只是想藉此引起母親注意,渴望和母親合為一體。母親辭世後,我常惡夢連連,夢見母親變成一隻毛毛蟲,全身毛茸茸的,目光炯炯有神,醒過來後,看到別人的手指頭還會誤以為是母親顯靈呢!我後悔以往太過任性,如果孝順一些,也許今日就不會有夢見母親變成毛毛蟲的可怕下場了。但若不是我的驕縱任性,對母親的感念也就不會這麼刻骨銘心吧!
我清楚記得母親在家中走動、吃飯、坐在角落裡補衣的種種情景。我在舞台上假扮她,想進入她的靈魂。她現在在夢什麼、想什麼呢?我相信死去的人也作夢。

對談圖8

林懷民:從一九六七年到一九七六年,您有七年的時間完全沒有出現在舞台上,請問那些年您在做什麼呢?
大野慶人:家父在那段時間拍了三部關於他自己的電影,分別為《O氏的肖像》、《O氏之曼陀羅—遊行夢華》、《O氏的死者之書》。這些影片沒有情節性的敘述結構,而是由詩意且富有超現實意味的畫面所組成。
林懷民:一九八0年在海外成名之前,您完全沒有政府補助,請問那時您靠什麼過日子?
大野一雄:年輕時我擔任高中女校的體育教師,並以此收入來維持舞蹈創作。
林懷民:可否描述令尊成名前的情景?
大野慶人:舞踏本是一種地下的活動,不受政府的鼓勵。許多反體制的人很關心這樣的藝術活動,這些觀眾是支持我們表演的力量。家父在一九五九年開始舉行「舞踏發表會」,在戰後不久的當時這被認為是非常奢侈的活動,要課百分之一百五十的稅,往往票房越好,我們家財賠進去的也就更多。有一回我向母親借錢,母親告訴我家中的錢因為父親的舞蹈,已經揮霍光了。
林懷民:您被稱為「舞踏之父」,您是否在乎您所跳的是不是「舞踏」呢?
大野一雄:我被稱為「舞踏之父」或許是因為年紀的關係吧!但不管是「現代舞」還是「舞踏」,重要是你是否不斷地累積經驗。隨著歲月,肉體日漸衰弱,甚至死去,精神卻會不斷往上提昇,即使死去,我的精神仍將繼續跳下去。
林懷民:對日本其他的舞踏團體您有什麼看法嗎?
大野一雄:如果勉強要說,就是太「系統化」或「定型化」了些。許多人都把舞踏當成一種技巧來學習,違背了舞踏的創始精神:打破特定舞蹈技巧規範,讓身體自由的表達自己。

          和著童年聽過的音樂起舞

薩爾‧穆吉揚托:我覺得在您的舞蹈裡面經常有著長時間的靜止,是非常有力、簡潔的表達。另外一個我覺得非常好而印象深刻的是您對音樂的詮釋,不管是現代機器做出來的音樂,或是古典音樂,它們彼此的結合或和舞蹈的結合都非常的自然,好到已使人忘掉音樂是東方的還是西方的、古代的或今天的。我的問題是您本來就喜歡這些音樂嗎?您舞作的靈感是否取自這些音樂?想請教您的舞蹈和音樂的關係。
大野一雄:我總是特別去找出童年時代聽過的音樂。因為那些音樂已進入我的身體和細胞中,所以我在使用這些音樂時一點都不會覺得不自然。並非先有音樂,然後有舞蹈。而是先有舞蹈,然後再去找出我小時候聽過的音樂。
我成長於日本北海道的函館。初中一年級的時候,我剛好有機會去聽貝多芬、蕭邦等人的音樂。在街上則可以聽到三味弦的演奏,我擷取在日常生活裡聽到的東西,並不理會是外國的還是日本的音樂。有一回,正好碰上有歌舞伎到含館來演出,我也清楚的記得曾經走到後台,仔細窺視歌舞伎藝人們的世界。我也曾被老婦人牽著手,帶到廟裡去玩,聽人念誦佛經。這些都是我跳舞音樂的泉源。
大野慶人:今天下午在和學生一起上刻的時候,我可以很深刻的感受到她們的東方氣質。
什麼是東方的氣質呢?正如這些掛在我們四周牆壁上的水墨花卉吧,不論是花還是樹木,都給人一種非常脆弱、纖細的感覺,但它們卻支撐到最後才會屈服。這種強韌的生命力,一定撐到最後一秒才枯盡的精神,正是東方和西方大不相同的地方。
林懷民:我想這和文化與生活都有關係。藝術和生活一體是東方很重要的傳統。今天我們穿著牛仔褲、吃漢堡,但身體裡面仍然有著一點那樣的東方。我上課常常跟同學講:「不要再學跳舞」或者「不要再學編舞了,那學不來,去生活。」在看過大野先生的演出和演講後,也許我該說讓我們「認真地」去生活。兩位先生的拜訪給了我們這樣的啟示和肯定。我想在此特別的謝謝您們。

對談圖5

摘錄:「睡蓮」[大野一雄的舞踏譜]

※引自“表演藝術雜誌” (1994,7)

我正徘徊於歌劇《托斯卡》的場景,一座老舊的羅馬城堡周圍。在享受了圍繞城牆的花園美景後,彷彿有人說:「該是你離去的時候了!」我很高興我來了,雖然當我走過面前的橋時,遺憾之意纏繞於心。在那兒我是第一次看到羅馬的河流,即使在羅馬也有河流!在此之前,我已看過無數的建築,但是不知何故,我從未注意到任何的河流。
水草輕柔地在橋底緩緩漩流的水中搖擺。橋的扶欄似乎是用大理石做的,手扶著其上,拾級而下,我緩緩地靠近河邊。《托斯卡》的音樂在耳邊迴響著,在我內心深處,我能聽見那已屆遲暮的前歌劇演唱家的嗓音。我記起了在丹尼爾‧史密特的電影《托斯卡之吻》中,她是如何突然地在維瓦第的迴廊上即席高歌。在那一刻,我決定以莫內的〈睡蓮〉為主題來創作舞踏。
莫內曾寫道:「在池底搖曳的水草景象實在是太美妙了,但當我試著摹畫它們,卻令我感到挫敗。我蒼老的手指不再能駕馭景象。然而我仍瘋狂地渴望能找到方法清晰地表達我感受到的生命力。」
莫內畫一系列蓮花池的習作時,視力微弱。這些畫是他企圖克服一個幾乎不可能的挑戰之存證。受到莫內的鼓舞,我決定以我所有的經驗作為草稿,創造一個從美之中浮現的透明、真實與虛幻的世界。
藉著莫內的幫助,我將從模型中解放出來,並且找到位於地球與宇宙的所在地的,那是睡蓮。

睡蓮圖1

一個女人正漂浮在哈雷彗星裡,悠遊於無際的宇宙中。
出現於天與地之間的這個女人,一定是聖母瑪麗亞。
負載著死者迷惑的船隻,似乎以懷有愛的死者之速度移動。
聖母頌:「為來自羅恩家族的聖母瑪麗亞哀悼吧!」
瑪麗亞的手永遠渴望著倒在血泊中瘦弱的基督。
瑪麗亞的淚痕已褪,她的手臂了無生氣地垂下。
超現實和真實的世界相重疊。真實與表象的世界是合一的嗎?
我相信哈雷彗星一定是約瑟夫–瑪麗亞的丈夫。
我瞥見,半人半馬獸在空中漫遊。

花朵是嬰兒,青年還是老人?花朵在無知中盛開又凋謝。花開花謝是在幻覺的世界中,或是在死者的世界裡?這是真實嗎?亦或是每件事交纏且重疊?我相信任何解釋都是真的。
植物在瘋狂中茂盛,而我希望人們的愛怒放在永恆中。孩童象徵著創造及永恆的愛。

「胎兒持續獨力創造著天堂,即使在其死後。
人們無法透過心靈來接觸,唯有藉由重生。」
白石和子

睡蓮圖2

莫內在他的蓮花池上建了一座日本橋。一八九九年後,莫內畫作的主題就是這座日本拱橋。甚至當他創作將在橘郡展出的大幅壁畫時,仍然持續地畫橋。我很想知道,當這座在他私有花園中的橋終於完工時,莫內的感受為何。我懷疑他會因過度興奮,以致幾乎難以過橋。
河水緩流。在幾乎停滯的移動中,生與死合而為一。
莫內有一張與友人佇立橋上的合照。當我在身心放鬆時凝視這張照片,它彷彿比只有池水和睡蓮的照片還美。
池水和睡蓮呈現了宇宙之美的內涵。我縮小視野,這座橋起初似乎是在美的邊緣,然後變得越來越接近本質,直到觸及某些內在的真實。
莫內曾向其友人解釋一幅睡蓮環生的壁畫(最後在橘郡展示的畫作)時說:「它提供了一個在花池中心可以靜心冥想的庇護所。」
宇宙之橋畫成一個弧形。我夢想有個新生兒,充滿著純真和謙遜,走過那生命孕育宇宙之所在的橋。
這也就是我要一件件地卸下戲服,且小心地將他們散放在地上的原因。當這動作進行時,我感覺到我正將皮與肉層層剝離,並將自己包裹在身軀所在的宇宙中──這就是舞踏的服裝。

睡蓮圖3
睡蓮圖4

「來自天堂的死者靈魂,
從寶池中盛開的睡蓮之後,
凝視這喜悅無窮的奇妙景象。」
大岡信〈應時小詩〉

花是如此地喜歡死者,而死者又是多麼喜歡生氣盎然的花朵。我溫柔地看透畫的花瓣,在了解它之前,它的美已令我迷醉。在真實與表象的疊層裡,我向莫內高喊:「早安!」我愉悅的聲音彷彿漂浮在空中,盈滿整個花園。
我因花園之美而恍惚失神,突然發現自己身處於百花世界中。綻放的花朵,水中的蓓蕾、生命的花粉,擴散而充滿於空中、水中及泥土裡。他們的生命主旨似乎是痛苦和愛的融合。彷彿是當我傾身於花瓣時,我了解到我正在觸摸某物,那並非花朵。我的手猶如垂死者般地在空中掙扎,直到抓住了某人拖曳的和服,寬腰帶全解開了。這是一個奇怪、非自然的感覺。拖曳和服上的褶痕,變成我心的褶痕。摺痕活起來了。而和服如水蛭般從我的手爬行至肩,覆蓋了全身。寬腰帶也蹣跚地跟隨著匍匐爬行。在莫內優美的花園裡,我見到了過去從未經歷過的事物:天堂與地獄、真實與虛幻、瘋狂與瘋子、愛與痛苦俱在的旋轉漩渦。
我裸身迷惑地站在舞台上。水蛭依舊在我掌中。它,來自寶池嗎?
享受著手沿著大理石欄杆滑下的喜悅,慢慢地,慢慢地,我來到了羅馬的河邊。我之所以清楚地記得是因水草之美誘惑著我、激動著我。
蹲下後,我想起了手中的水蛭。或許它並不是包裹我驅體與靈魂的和服──它可能是花嗎?或者是死者的靈魂?

睡蓮圖5

「在紀梵尼的莫內花園中的蓮花池,
並不僅是莫內晚年的慰藉,
也是他最後的動機與主題,
以及對他藝術天份最終的挑戰。
當他領悟到水的表面有三層:
真實、表象與透明,
他最終的探險便開始了。」
峰村俊明

我沿著池邊走,渴望祝某人早安。但首先我想要試著畫一幅存在的自畫像,一幅每個人存在的自畫像,之後我要使這圖像出走。我確定這是唯一的方法,使我能了解我欲道早安的渴望。我開始畫。忽然,我注意到是我的素描開始畫我,與我爭執的素描正在攫取我的靈魂。是誰正在畫誰呢?我不再能分辨。既然我相信莫內的睡蓮花園是他的自畫像,或許有一天我能遇見他。我很樂意向莫內隱退的身影高聲祝賀。我必須抑制我狂亂跳動的心。
在宇宙的子宮中的吻。

摘錄:「死海」 [大野一雄的舞踏譜]

※引自“表演藝術雜誌” (1994,7)

我感覺被壓碎了。欲哭、欲玩、欲生、欲死。我以為「靈魂之形體」是一混濁未明之物,無法區分。

號角再度響起:許多小動物在山間疾奔;一位中年女子走向死亡。在某方面兩者重疊,成為環繞死者的群山。他們都自母親的子宮獲得生命,且自然地親近彼此。似乎動物對永遠瀕臨死亡的女人有著迷亂的愛。我必須拉起我的裙子來回應他們。

絲毫無法幫忙創造天與地,我背朝下伸腳朝天倒立。

我想像眾鬼魂如氾濫的花朵從久遭棄置的堡壘中流瀉而出。當我在歐洲隨此音樂起舞時,感到有奇異的靈魂在注視著我──但在恐懼中我同時看到美與光輝瞬間綻現。

死海

‘魂魄’ ‘暗黑’ [摘譯自"Hijikata Tatsumi and Ohno Kazuo"]

※引自“Hijikata Tatsumi and Ohno Kazuo” (2006 : 頁59-60)

靈性的黑暗:進入大野一雄的
排練場與“魂魄”裡

中嶋夏,舞踏的女性創始者之一,於1997年在台北的輔仁大學進行了一場重要的演說,針對土方巽和大野一雄作品裡靈性的黑暗以及它的女性基礎,作出日本佛教觀點的詮釋,雖然這些舞者並非真的是在任何宗教傳統範圍內工作。她帶我們進到大野一雄的排練場裡,以及他在工作坊中所用的字“魂魄”。她說很多外國人來到大野一雄的排練場,而他會給他們一些詞彙用來舞蹈。例如,“舞在天堂裡。舞在地獄裡。舞在心裡。” 中嶋說,大多數人能做得到並且感覺這很不錯。但是當大野先生說舞在“魂魄”裡時,突然間他們就不知如何動作了。“魂魄”是個連日本人也都遺忘並且感覺陌生訝異的字眼。它描述著亡者與生者於河岸之間往返,平平靜靜地。中嶋特別指出日本人所用的一些佛教詞彙,像是“彼岸”—遠方亡者世界那邊的河岸,以及“此岸”—此處生者世界這邊的河岸。在“魂魄”裡亡者一年數次往返,渡河回到他們祖先的居處。那並不是一個地方,而是“不在那裡的任何地方。”她說我們可將這稱為黑暗,靈性,無形之物,無意識,或者那已滅去並消失的。這是某種無法被見到的東西—某種大野一雄認出它是“魂魄”,而土方巽稱作“暗黑”與“闇”(幽暗)—透露出反差及非理性(中嶋 1997)。

SPIRITUAL DARKNESS: INSIDE OHNO’S
STUDIO AND KONPAKU

Nakajima Natsu, one of the female founders of butoh, gave a pivotal speech at Fu Jen University in Taipei in 1997 explaining a Japanese Buddhist perspective of spiritual darkness in the work of Hijikata and Ohno and its feminine basis, even though these dancers were not working literally within any religious tradition. She takes us inside Ohno Kazuo’s studio and his workshop word Konpaku. She says that many foreigners come to Ohno Kazuo’s studio, and he gives them a phrase to dance on. For example, “Dance in the heavens. Dance in hell. Dance in the heart.” Most people can do this and feel good about it, Nakajima says. But when Ohno says dance in konpaku, all of a sudden they don’t know how to move. Konpaku is a word that even the Japanese have forgotten and would be startled by. It describes the riverbanks where the dead and the living come and go, very much at peace. Nakajima emphasizes that the Japanese use Buddhist terms like higan — the far side of the riverbank for the world of the dead, and shigan — the near side of the riverbank for the world of the living. Konpaku is where the dead come and go several times a year crossing the river to their homes. It is not a place, but “nowhere out there.” She says we can call this darkness, spirituality, something formless, the unconscious, or the destroyed and disappeared. This is something that cannot be seen — something that Ohno identified as Konpaku and Hijikata called ankoku and yami (shadowy darkness) — emanating contradiction and irrationality (Nakajima 1997).

へそと原爆






《肚臍與原爆》

 導演:細江英公
 編舞:土方巽
 演出:土方巽 大野慶人(兩位男性身體)
 時間:1960 (“禁色”初演為1959, 表演者亦是土方巽和大野慶人) 


在這影片裡我們可以看到原子彈爆炸的真實畫面,也見到了“身體”處在多種動盪以致爆裂的狀態。然而,除了殘酷與壓迫,能承受進而洞悉者會感受到一種幽默,一種清新。而這並不屬於舞踏通常被預期的質地,解開了作品自身訊息與形式的沉重負荷,卻在藝術和意識層面上更為提升───尤其是與之後標舉土方巽的各種暗黑舞踏作品相較。
桑雅劇場所重視的舞踏是包括此影片在內所指向的舞踏源頭,以及從中演變出來的舞踏第三脈絡。


影片來源:http://youtu.be/lbhK_De9JBw


[摘譯] 詞彙“舞踏”

※摘譯自 “Hijikata Tatsumi: The Words of Butoh: [Introduction]    作者 Kurihara Nanako    資料來源 http://www.jstor.org/stable/1146810



    “舞踏”(butoh)一詞,如今已被接受為此類型的名稱,是源自於1960年代初期的暗黑舞踊(ankoku buyō)。“暗黑”(ankoku)的意思是“徹底的黑暗”。“舞踊”,一種舞蹈類型名稱, 則是用在許多複合的詞彙:例如, 現代舞踊(gendai buyō),現代舞蹈;以及古典舞踊(koten buyō), 古典舞蹈。在之後的1960年代,暗黑舞踊演變成暗黑舞踏(ankoku butō)。“舞踏”這個字用在複合詞彙像舞踏会(butō-kai),歐式型態的舞會,或者死の舞踏(shi no butō),中世紀歐洲的死亡舞蹈。也就是說,“舞踏”是用來指稱西方的舞蹈形式。然而,根據日文字典広辞苑(Kōjien),舞踏也釋為拝舞(haimu),皇宮裡的一種特定禮儀,行禮者揮動身上傳統和服的長袖並踩踏其足。(新村 1991:2037)。“踏”的意思是踏腳。雖然踏的動作並不是典型的舞踏,土方創造了“暗黑舞踏”一詞來代表一種宇宙性的舞蹈,它完全背離了既有的舞蹈並且探索著人類本性最黑暗的層面。


    The word “butoh," now the accepted name of the genre, originated as ankoku buyō in the early I960s. “Ankoku" means “utter darkness." “Buyō," a generic term for dance, is used in many compounds: for example, gendai buyō, modem dance; and koten buyō,classical dance. Later in the I960s, ankoku buyō evolved into ankoku butō. The word “butō" is used in compounds such as butō-kai, a European-type ball dance, or shi no butō, the medieval European dance of death. That is, “butō" was used to refer to Western dance forms. However, according to the Japanese dictionary Kōjien, butō also means haimu, a specific ceremonial salutation at the imperial court in which a person flings the long sleeves of traditional Japanese dress and stamps the feet (Shinmura 1991:2037). “Tō" means stamping feet. Although a stamping movement is not typical of butoh, Hijikata created the term “ankoku butoh" to denote a cosmological dance which completely departed from existing dances and explored the darkest side of human nature.






[摘譯] 大野慶人:紙一重,石頭

※摘譯自 “Hijikata Tatsumi and Ohno Kazuo" 頁115-8


舞蹈體驗

      毫髮之隔 (紙一重)
         慶人在教導毫髮之隔時,他喜歡給大家看一張掛在牆上的土方巽的海報,在海報裡土方巽穿著長禮服,將一朵玫瑰拿在身前。他說土方巽在練習時會一拿著用張面紙捏出來的花一邊走,於是他拿著花,將薄薄的一層空間握在手裡,這朵花也將柔軟產生在他的中心處(芯)。慶人將那芯裡的細柔描述為“毫髮之隔”(紙一重):

         那只是一根頭髮般的間隙。然而有了這間隙你就能吸引到人們的注意。是否具有這小小的間隔將導致大大的不同。土方會練習將一張紙放在他的雙手之間,像這樣:(慶人從放在桌上的盒裡抽出一張面紙來示範。他讓面紙輕輕地飄動,最後停在他舉在胸前的雙手手掌間。)

         這會花上很長時間,但我希望你們都能獲得這樣的身形。你必須在靈魂裡感受到它。靜謐。如同芭蕉的閑さや岩にしみ入蝉の声 (靜岩裡之蟬聲):即使在岩石裡都有真理。並且即使是岩石都知道它。

     過程
         > 一開始將面紙放在你的手臂下(兩隻手臂)同時兩手交握在身前,就像你在禱告              時會出現的樣子。僅留剛好可將面紙輕輕夾住的空間。歌舞伎演員就是以這方              式而能如同女人般行走(稱為紙一重)—-在手臂和身側之間只有一張面紙的間                 隔。
         > 以輕柔的音樂來做這個練習,當你能用上大約20分鐘的時間,從排練場地板               的一端漸漸地,一點一點地移動到另一端,這張面紙細柔的空間就會成為你靈             魂和內在生命的一部分。

舞蹈體驗

      成為石頭
          “大野一雄在拜訪奧斯威辛(Auschwitz)時,”慶人告訴我們,“他發覺到自己無法在那地方跳舞。然後他看到ㄧ些石頭在他所走的路旁牆上,他就能跳舞了。他能舞出存在於那些石頭中的悲痛。

          > 慶人給這練習的指示,以中村這次的體驗而言,只有“成為一塊石頭”。他說               在人們裡面有著許許多多不同的石頭。他告訴我們一雄會這麼說:“不要想著                要去變成石頭;只需找出在你裡面的那塊。“
         > 在這舞蹈排練場裡,跟著風的聲音來探尋身體,找到你自己的石頭。用一段               風聲的錄音,或是能特別表現出風的音樂。除了排練場裡的體驗還可以有別的               方式來嘗試這舞蹈體驗,也許你會想不用錄製的聲音並且去到自然的環境裡               —-就在真的有石頭的地方。

      “成為石頭”的準備工作
         > 找一個地方只有你與石頭在那,或者大致是如此。站在它們上面。感覺它們               就在你的腳下,碰觸著你的皮膚。撿起它們,感受各個不同的重量,紋理,看               見它們的色澤。
         > 不必擔心對此想得太多:就只是去經驗那些石頭:與它們相處一會兒後再進               行舞蹈體驗。
         > 感覺石頭裡面的靜止,也許你會被在它內部的分子運動所吸引,或者是石頭               怎麼呼吸並隨著時間而變化。
         > 反思作為石頭的自己。
         > 透過石頭體驗到歲月,尤其當你想到大野一雄有著這麼長的壽命,而且要記               得是他啟發了這舞蹈體驗。到2006年時他就100歲了,慶人說他身體現在沒有               任何問題,只是因年邁而虛弱。他會在他的輪椅裡跳舞,有時還會作出一段奮               力從地板挺直上來的舞蹈。它的手臂揮舞擺盪,而當他放鬆在他的舞蹈中時,               他的臉龐柔和並充滿笑容。看著大野人們不會看到皺紋,只有光。

     中村的回響
         中村描述了她對舞蹈練習成為石頭的觀察:

             我坐在橫濱的舞蹈排練場地板上的矮桌周圍,旁邊就是空著的一雄的座椅,從這位置我看著眼前正在成為石頭的人們。拼命緊握著在他雙手手掌間一塊想像的石頭,這年青人扭曲的臉孔表現了那些從石頭中滴落而出的情緒。有個女人將頭往後甩,整個臉朝上並閉起眼睛,蹣跚而行的同時將她的雙臂舉著,扛起她那塊石頭的重擔。有個男人雙腳彈起又落下,以看不見的力量猛烈撞上他的石頭。一個女人跪坐著,在她身前將那些石頭一一堆起。我體驗到這些石頭的能量是極度有活力且相互作用著—-找尋活生生的石頭讓我們與在自己周遭就在那的石頭以及那石頭般的世界相連結。

      Fraleigh的回響
        在參加了芦川羊子的工作坊後,我馬上在我的舞踏工作本上寫下了這首俳句,石頭。我將它視為我個人對舞蹈的定義。

             石頭般靜止的身體
             什麼都沒有
             那就是不動

         如果你有隨身帶著一本舞蹈體驗工作本或剪貼簿,你也許會想寫下你自己關於成為石頭的俳句。寫下三句短行,大約是5/7/5共17個音節。俳句ㄧ般而言都是三行,但可以依據字詞的安排而作改變,5/7/5也只是指引,而非命令。重要的是讓詩句簡短並完整。聽見那些字,不要一開始就去編排它們。對詩句的仔細考慮和修訂可以晚點再作。讓它是簡單的。大野會寫簡單的俳句用來啟發舞蹈,我們在第二章中的那段“跳舞的文字:大野的意象”裡剛剛看過也探討過。




DANCE EXPERIENCE

      Hair-split Difference (Kamihitoe)
         When Yoshito teaches Hair-split Difference, he likes to show a poster of Hijikata hanging on the wall in which he is wearing a long dress and carrying a rose in front of him. He says that Hijikata walks with a flower wrapped in a tissue during practice so that he carries the flower with a thin layer of space between his hand and the flower creating softness in his center (shin). Yoshito describes that softness in shin as a “hair-split difference” (Kamihitoe):

          It is just a hair-split difference. With that difference you can attract people’s attention. Whether you have this small difference or not that makes a great difference. Hijikata practiced placing a piece of paper between his hands, like this: (Yoshito demonstrates by drawing one tissue from the box setting on the table. He allows the tissue to float to a resting position gently between the palms of his hands held in front of his chest.)

          It will take a long time, but I hope you will acquire this form. You have to feel it in spirit. Quietness. As Basho’s Shizukasa ya Iwa ni Shimi iru Semi no Koe (The Cicada’s Voice in the Quiet Rock): There is truth even in the rock. And even the rock knows that.

      The Process
         > Begin by placing a tissue under your arm (both arms) and hold your two hands in               front of you,as you might in prayer. Leave just enough space to gently hold the tissue.               That is how Kabuki actors walk like women (called kamihikitori) — with one tissue               space between the arm and the side of the body.
         > The softness of the one tissue space becomes part of your spirit and inner life as you              move in minute increments across the studio floor for about twenty minutes practicing              this exercise with soft music playing.

DANCE EXPERIENCE

     Be a Stone
         “When Ohno Kazuo visited Auschwitz,” Yoshito tells us, “he found that he couldn’t dance there. Then he saw some stones in the wall along the path he was walking and he could dance. He could dance the pain in the stones.”

         > Yoshito’s only instructions for this exercise, as Nakamura experienced it, are to “be a              stone.” He says that there will be many kinds of stones in people. He tells us that               Kazuo would say: “Don’t think about being a stone; just find the stone in you.”
         > In the dance studio, search your body for your own stone to the sound of wind. Use a              recording of wind sounds, or a score that features wind. As an alternative to the                studio experience, you might like to try this DANCE EXPERIENCE without recorded                sound and out in the environment — in the presence of stones.

   Preparation for “Be a Stone” (whether in the studio or natural environment)
     > Find a place where you can be alone with stones, or relatively so. Stand on                              them. Feel them under your feet and on your skin. Pick them up, feel the various                    weights, textures, and see the colors.
     > Never mind thinking too much about this: just experience the stones: be with them for a          while before undertaking the DANCE EXPERIENCE.
      > Feel the stillness in stones, or maybe you are attracted to the molecular movement              inside, or how stones breathe and change with time.
      > Reflect on yourself as stone.
      > Experience age through the stones, as you connect to Ohno Kazuo’s longevity, and              remember he inspires this dance experience. He will be l00 years old in 2006, and                Yoshito says there is nothing physically wrong with him, just weakness from old age. He              dances from his wheelchair, and sometimes does a dance of struggle for uprightness              from the floor. His arms waft and wink, and when he is relaxed in his dance, his face is              soft and smiling. One doesn’t see wrinkles when looking at Ohno, just light.

     Nakamura’s reflections
         Nakamura describes her observations of DANCE EXPERIENCES on Be a Stone:

              From my position sitting on the floor at the low table next to Kazuo’s empty chair in the dance studio in Yokohama, I look out at the people being a stone. Desperately wringing an imaginary stone between the palms of his hands, a young man’s grimace expresses the emotions dripping from the stone. A woman with her head flung back and her face looking up staggers forward with closed eyes and her arms hanging, carrying the heavy burden of her stone. A man jumps and lands on his feet, violently crashing his stone against unseen forces. A woman sits in a kneeling position piling up stones in front of her. I experience the energy of the stones as intensely alive and interactive — searching for the living stone connects us to the stone out there in our environment and to the world as stone.

     Fraleigh’s reflections
       I made this haiku poem, Stone, for my butoh journal immediately after taking a workshop with Ashikawa Yoko. I think of it as my personal definition of dance:

          Stone Still Body
          There is Nothing
           That is Not Moving

      If you are keeping a DANCE EXPERIENCE journal or scrapbook, you might want to write your own haiku on Be a Stone. Write three short lines of around 17 syllables of 5/7/5. Haiku are generally three lines, but can vary according to the arrangement of the words, and 5/7/5 is just a guide, not a prescription. The important thing is to keep the poem short and whole. Hear the words. Don’t edit them at first. Thoughtful shaping of the poem can come later. Keep it simple. Ohno wrote simple haiku as inspiration for dance, as we just saw and also considered in Chapter 2 in “Words that Dance: Ohno’s Images.”



[摘譯] 大野慶人:蘭花,毅力,和芯

※摘譯自 “Hijikata Tatsumi and Ohno Kazuo" 頁114-5


慶人在工作坊裡關於毅力的談話

          慶人的工作坊談話是中村テーマ在2005年3月19日的紀錄與翻譯。依據慶人教導所作的舞蹈體驗,則是加入Fraleigh和中村的準備方式及進一步說明後重新建構並擴充而成。

關於蘭花,毅力,和芯的筆記

          在他的工作坊,慶人有時會教導“不起動作的毅力”,這主題取自しんぴじむ(蕙蘭屬),一種花上7年時間從細菌,從菌類植物開始長成的蘭花。根據慶人的看法,此不動作對一雄而言就是舞踏的精髓。他說這裡面有個重要的元素叫做芯 (歸於中心,心,身體,樹幹,靈魂)。

舞蹈體驗
         芯
         > 以視覺化芯作為開始──你身體的最中心。那並不是一個地方;它是一種感                     覺。慶人說在日文裡芯是寫成くさのこころ(草之心)。現在握著一樣東西開始              走。這樣的走能夠多慢──“不動作的毅力”?慶人說“如果你持續走上7年,當你               握著的那樣東西消失時,你就會在你自己裡面擁有芯了。”他說“你需要毅力才               能達成他所稱的舞踏,而且就像土方在舞蹈時手上也會拿著一朵花,花正是                  一個舞踏的主題。”要記得大野對花有著特別的關聯,將它們視為“感覺器                  官”。慶人說在一雄的世界裡花是最理想的存在形式。

         > 在你心的中心帶著你的花。帶著花一直走下去,直到你變成那朵花。在你
            轉變成花朵時,讓你的心來引導你的舞。在你心中帶著耐性,就像花朵不
            會張揚且不須要求就將它的芳香給予這個世界。現在讓這朵花帶著你。讓
            你的舞蹈以它自己的時間和自己的方式結束。繼續呼吸進入你自己的芯。
            什麼會在你身體留下來呢?

的準備工作
         > 在這練習的一開始將一雄關於花的舞踏譜俳句寫下來,於是在你舞蹈時就可                  參考它並反覆體會。找一段簡單的音樂是柔和與和諧的,有著心與芬芳。要                  用器樂,而非人聲,因為歌詞可能會與你純淨的花一般的意識相牴觸。多用                些時間去自然地看著花,也許那是花園,或是生長在田原和路旁的野花。這                  朵花可能是被遺忘或者有人照顧。選擇你自己的花。在你的工作筆記裡,將                  你的花畫出或描出來,這是練習關於芯的舞蹈體驗。

慶人的回響
         在我首次的獨舞演出,那是1969年,我30歲的時候,我非常努力地在練習,也請土方對我的舞蹈寫些意見。他說,OK,然後寫了:“慶人的舞蹈是花與鳥。”這大家都看得出來,但他就只是寫出花與鳥。嗯,它們確實是內外繫合的要素。



Yoshito’s workshop words on Patience

         Yoshito’s workshop words are recorded and translated by Tamah Nakamura, March 19, 2005. DANCE EXPERIENCES on the teaching of Yoshito are reconstructed and extended with preparations and further instructions by Fraleigh and Nakamura.

Note on Orchids, Patience, and Shin

         In his workshops, Yoshito sometimes teaches “The Patience of Not Starting,” taking this theme from the shinpijimu (Cymbidium), an orchid that takes seven years to grow starting from bacteria, from fungi. For Kazuo this not starting is the essence of butoh, according to Yoshito. He says that an important element of this is shin (centeredness, heart, body, tree trunk, spirit).

DANCE EXPERIENCE
          Shin
         > Begin by visualizing Shin — the very center of your body. This isn’t a place; it is a                        feeling. Yoshito says that in Japanese shin is written as kusa no kokoro (heart of grass).                   Now begin to walk holding something. How slow is this walk – “the patience of not                  starting”? Yoshito says that “if you continue to walk for seven years, when the thing                     you are holding is gone you will have shin in yourself.” He says “you need patience to                   reach what he calls butoh, and that just as Hijikata also danced with a flower in his                  hand, the flower is a butoh theme.” Remember that Ohno had a special relationship to                   flowers, considering them “sensory organs.” Yoshito says that flowers are the most                   ideal form of existence in Kazuo’s world.

         > Carry your flower in the center of your heart. Keep moving on with the flower, until                    you become the flower. As you transform into the flower, let your heart guide your                   dance. Carry patience in your heart, just as the flower is unassuming and gives its                       fragrance to the world without being asked. Let the flower carry you now. Let your                     dance finish in its own time and its own way. Continue to breathe into the shin of                        yourself. What is left residing in your body?


Preparation for Shin
         > Write down Kazuo’s butoh-fu haiku on flowers at the beginning of this section, so you                can refer to it and let it ruminate in your dance. Find simple music that is soft and                     harmonious, that has fragrance and heart. Use instrumental music, not voice, because                 the words can interfere with your pure flower-consciousness. Spend time in nature                    looking at flowers, maybe a garden, or wildflowers in fields and beside the pavement.                 This might be a forgotten flower or one that is tended. Choose your flower. In your                  journal, paint or draw your flower as practice for the DANCE EXPERIENCE on                  Shin.


Reflections from Yoshito
         In my first recital, when I was at the age of thirty, in 1969, I was practicing very hard and I asked Hijikata to write something about my dance. He said, OK, and he wrote: “Yoshito’s dance is flower and bird.” Anyone could see that, but he just wrote flower and bird. Well, they are internal and external elements tied together.




[摘譯] 大野慶人:不起動作的毅力

※摘譯自 “Hijikata Tatsumi and Ohno Kazuo"   頁112-4

大野慶人:不起動作的毅力(こんきの いる みしゅっぱつ)

       2005年3月中村テーマ在日本橫濱參加了一場大野慶人的工作坊,那時慶人運用了以下的舞踏譜,這是他父親很典型的教學方式。那是四行的俳句,學生們會想將它寫下來作為視覺化的冥想,並以此準備進行接著的舞蹈體驗“不起動作的毅力”。

               花朵生長
               花開而逝去
               臨近鳥兒展翅
               凋零的花瓣四處散落

       慶人,舞踏的主要舞者之一,多年來與他的父親在日本及世界各地同台巡迴演出;在一雄即將於2006年迎接他百歲生日之際,慶人持續照料著他的父親且接下教學的工作。近日,當一雄坐在輪椅上起舞時,慶人就在身旁帶著他進出,以各種需要的方式陪伴與支持他的父親。在日本,父母,老師,和祖先,皆是具有尊崇的地位,此從慶人的一生就可明顯看出。1959年還是青少年的他,在標識出舞踏起點的“禁色”裡開始和土方與一雄共舞,從那時起他就一直反映且補充著他父親的舞蹈(有時是完全的對比)。

       慶人有時會拿出山根有三的著書“宗達”裡三幅連續相關的水墨畫來開始他的工作坊:1)池塘裡的睡蓮盛開;2)鳥展開翅膀;3)睡蓮的花瓣掉落。他解釋舞踏就像這畫裡詩意般的過程:

               睡蓮就是身體,鳥則代表某種社會。此繃緊的關係在空氣中交互運作著。
               宗達在500年前將那池塘與鳥之間充滿張力的關係畫了出來。我認為這就
               是舞踏的情境。

OHNO YOSHITO: THE PATIENCE OF NOT
STARTING (KONKI NO IRU MISHUPPATSU)

       In a workshop that Tamah Nakamura took from Ohno Yoshito in Yokohama, Japan in March of 2005, he used the following butoh-fu typical of his father’s approach to teaching. Students may want to write this down as a meditative visualization, and four line haiku, in preparation for the following dance experiences on “The Patience of Not Starting.”

               The flower grows
               The blossoms die
               A bird takes wing nearby
               And the wilting flower petals scatter

       Yoshito, one of the major dancers of butoh, performed with his father in Japan and on his international tours for many years; he continues to take care of his father and serve his work as a teacher with Kazuo reach-ing his one-hundredth birthday in 2006. Most recently, when Kazuo dances in his wheelchair, Yoshito is nearby to transport him, to accompany and support his father in any way that is needed, and he takes care of him at home with the help of others. In Japan, parents, teachers, and the ancestors, hold a place of respect and honor, as Yoshito’s life reflects. He has mirrored and complemented his father’s dance (in stark contrast sometimes) since his teen years when he began to dance with Hijikata and Kazuo in Kinjiki, the 1959 performance that marked the beginning of butoh.

       Yoshito sometimes opens his workshops by showing an interconnected series of three watercolor prints in the book Sotatsu by Yamane Yuzo: 1) a water lily blossoms in a pond; 2) a bird takes flight; 3) water lily petals fall. He explains that butoh is like the poetic process in this painting:

               This water lily is a body and this bird is a kind of society.
               This is a tense relationship interacting in the air. Sotatsu
               painted that tense relationship between the pond and the bird
               500 years ago. I think this is a scene of butoh.